猫になりたい

将来の夢は猫になることです。


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あれから5年

あの時、私は都内の高層ビル内で仕事をしていた。死の恐怖を感じるほど揺れた。私は打ち合わせスペースで打ち合わせをしていた。私ともう一人の女性は他のメンバーに促されて打ち合わせ卓の下にもぐった。隣の卓では中国人の同僚が中国語で騒いでいた。

私のいるビルの隣にも高層ビルが立っている。そのビルと私のいるビル、2本のビルがぶつかるんじゃないかと思うぐらい揺れた。揺れが収まって、窓から1階を見てみると、ビルを心配そうに見上げる人たちがいた。そんなとこにいないで逃げなさいよ、もしビルが倒壊したらあなたたちも巻き込まれてしまうじゃないの、と思った。

しばらくすると放送がかかり、倒壊の心配はない、ビル内を全て点検するとの案内があった。30階以上あるのに何人の警備員で点検するのか心配になったが、とりあえず倒壊はしないことだけは信じるしかなかった。

一度目の揺れの後、仕事なんてしてられなかった。仕事をしている同僚は何人もいたが、家族や友人たちが気がかりでなんとか連絡を取ろうとしていた。そのうち、同じビルの違う階にいる友人から安否確認の社内メールが来た。それに返信しようとキーボードを叩いていると、二度目が来た。揺れた。キーボードが打てない。

ただの大きな地震が来たと思っていたが、ネットで色々見てみると大変なことになっていると分かった。友人が石巻に出張すると言っていたことを思い出し、連絡をとるも返事無し。家族とも連絡がとれない。同僚たちはみんな同じ状態だった。

エレベーターも止まり、全員各フロアに待機せよ、というアナウンスがあったため、どこにも行けなかった。でも私は愛猫が心配でなんとか今日中には帰宅したいと考えていた。でも何もできず。ただただ時間が過ぎた。

夕方、都内の実家と連絡がとれた。母は相変わらず能天気なことを言っていた。私は歩いて帰宅するつもりだと母に伝えると母は「今日はどんな靴履いてんの?」と聞いてきた。ハイヒールだよ、と答えると母は大笑いした。そして「がんばってねー!」。お母さんは平常運転。

母と連絡が取れたことを姉にも連絡した。返事はなかったが、届いていることを願った。そして、私は帰り支度を始めた。もう7時を回っていた。

電車も止まっていたため、帰宅できない同僚たちは会社に泊まることにしたそうだ。外まで買い出しに行った強者もいたみたいで、酒とおつまみをどこからか調達していた。宴会をするしかないだろう。私は彼らに別れを告げ、階段を下り始めた。

18階から階段を下りたのは初めてだった。上がるよりマシだろうが、膝ががくがくしてくる。階段で参っていてはだめだ。これから約8km歩くことになる。階段を下りる人々はたくさんいた。1階に着いてそのまま歩き続ける人々、タクシー待ちの長蛇の列に並ぶ人々、バス停に向かう人々。私は歩き始めた。

途中、姉から連絡が入った。姉の家は職場から2km程度。泊まりにくるか聞かれたが、家に帰ると返事した。愛猫の様子が気になる。それだけが気がかりでひたすら歩いた。ハイヒールで。風も強く寒かった。耳がちぎれそうなほど寒かった。同じように歩いている人々はたくさんいた。みんなひたすら黙々と歩いている。

歩くこと2時間半、家の近所の国道に出ると人で渋滞していた。歩く速度が遅い。もう少しで家に着くのに早く進めないことにとてもイライラした。それでも仕方がない。ただひたすら歩いた。ハイヒールで8km歩くのはしんどかった。職場にスニーカーを置くことに決めた。

ついに家に着いた。はやる気持ちでマンション内に入るとエレベーターが止まっていた。もうすでに足は限界だったが、階段で上がるしかなかった。6階まで速足で上がり、寒さと疲れで震える手でカギを開けた。

愛猫が廊下の先で威嚇のポーズをしてこちらを見ていた。

突然、大きく地面が揺れて怖かったんだろう。一人で心細かっただろう。声を掛けるとゆっくりとこっちにやってくる。でも元気がない。急いで靴を脱ぎ、愛猫の頭を撫でた。そのうちに小さく聞こえてくるゴロゴロという音。ようやく私も安堵できた。

愛猫の食事を用意し、自分も着替えて体を温めて一息ついた。テレビをつけると震災の映像が絶え間なく流される。津波の映像をそこで初めて見た。なんてことだ。こんなことがあるのか。どうしようもない無力感しか感じられなかった。ただただ映像を見ることしかできなかった。

もう動く気力もなかったが、体がまだ冷えていたので風呂に入った。その間にも余震があり、心細かった。愛猫も風呂場のドアの前で鳴いている。彼も心細かったのだろう。その夜はよく眠れなかった。

土日は元々休みだったので、家から出ないつもりだった。でも食料がなかった。愛猫が心配だし、あまり外に出たくなかったが仕方ない。近所のスーパーに行くともう品物が少なくなっていた。まだ土曜の午前中だというのに。保存できるものと最低限の日用品を買い、帰宅すると愛猫が玄関まで走ってきた。いつも通りだ。尻尾を立てて喉を鳴らしてにゃーにゃー鳴いた。

それからただただテレビとネットを見ていた。友人と連絡が取れて安堵したり、東北の被害に心を痛めたり、自分に何かできないかと考えていた。あの時は募金するぐらいしかできなかったが、それでも何かできないかと考えていた。

愛猫は余震のたびに猫用のキャリーケースに逃げ込んでいた。今でも大きな地震があるとそこに逃げ込む。安全な場所だと思っているらしい。こちらとしてもそのまま運んで避難できるので好都合だ。

 

あれから5年。結局、私は募金することしかしていない。ただ目の前のことに気をとられ、自分の人生を生きるだけで何もしていなかった。

 

今年は福島の猫の保護活動をしている団体へ募金と物資支援をしようと思う。

もし我が家にもう一部屋あれば一時預かりのボランティアをしたいけど、我が家は仕切りがなく、愛猫と保護猫を隔離することができない。また、大家さんとの約束で飼うのは1匹のみ。今後、もっと広い部屋に越したらボランティア活動をしたいな、と思っています。

 

にゃんだーガード@福島

 

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